トップページに戻る   ダメを出していただいても結構です。あなたの超個人的も送ってください。

2008年6月21日
4年ぶりにヤッチャイました
 
4年前ミニバレー大会で右足を捻挫しその後けんしょう炎も起こして散々の日々を送ったことをご存知の方も多いと思います。実は今年の3月に左足親指付け根関節炎になってしまったのです。原因はラグビーです。別府ラグビースクールの中学生に遠征先でスクラムの組み方とフッキング(スクラム前列中央のフッカーがスクラムハーフの投入したボールを足でかき出す行為)を教えている時に、スパイクを履いていれば少しは良かったのかもしれませんがジョギングシューズのままで左足(特に親指)のみに負荷をかけて超熱血に指導してしまい、翌日変な鈍い痛みを覚え、翌々日には少し腫れその晩に激痛が走り次の日整形外科に飛び込み処置をしてもらいました。あまりの痛さに耐えきれずもしやと思い内科医の友人K君を訪ねました。『アーこりゃーどう見ても痛風や。』とのこと。これまで尿酸値はぎりぎりセーフだっただけについに来たかと思いましたが検査の結果は今回も数値はぎりぎりセーフでした。友人を信用してない訳ではないのですが私の診断では“痛風もどき”でした。そんなこんなで痛みも腫れもほとんど無くなってきたので、もうよかろうと思いラグビースクールで子供たちと走りまわったらまた2、3日後に同じ痛みと腫れがぶり返してしまい、またまた整形外科へ。治ったかなと思ったらまた痛くなるのアホなことを3回繰り返しとうとう医者から『本当に治りきるまで包帯を巻いてサンダルを履いとけ!』と言われてました。4年前に履いていたサンダルを出してきてTPOを完全に無視して履きまくっています。人に会うたびに足の説明をするのも4年前と同じです。人によっては4年前を思い出して大笑いしたり、軽蔑したり、慰めてくれたりで小生結構へこんでいます。医者に言わせると足の包帯は“戒め”だそうですが私にとっては“見せしめ”でしかありません。今月中に完治することを祈りつつ包帯の日々を送ります。
2008年6月17日
やっと咲きました
 
我が家のハイビスカスの花、二つ目が咲きました。次の花芽が見つからないのでとりあえず記念撮影をしておきました。ピンクのハイビスカスとシーサーの組み合わせはまるで『沖縄』じゃないですか。沖縄と言えば、大学4年の夏に親友と2人で与論島・沖縄超貧乏旅行に行ったことを思い出しました。国鉄と船を利用して1日以上かけて与論島に到着しました。宿の予約をしていなかったためリュックサックと毛布を持って上陸しました。大勢の観光客と多くの宿泊施設の迎えの車が去った後、『野宿かなぁ』などとたそがれていると一台のおんぼろハイエースがやってきて『うちの民宿に泊まりませんか。』と嬉しいことを言ってくれたわけです。その宿たしか『みはらし荘』だったか、その玄関先に真っ赤なハイビスカスが見事に咲き乱れていたのです。『うわー南国だ!』感激しました。それ以来ハイビスカスは私にとって心躍る何とも言えない存在となったのです。三つ目の花が咲くのを楽しみにしています。三つ目が咲いたら与論島・沖縄超貧乏旅行のアホな思い出を(思い出すことができれば)綴ってみようと思います。
2008年6月9日
3年ぶりです
 
この3年間で色々なことがありました。2005年という年は私の人生で特に記憶に残る1年になりました。それまでに経験したことが無いことが次々に起こり、何とか乗り越えてきました。プライベートなことなので詳しいことは申し上げられませんが、『結婚していてよかった。この妻がいて良かった。』と心底思ったということだけお伝えします。
 さて、愚息二人がラグビーを始めました。これも2005年からです。今年長男は私の母校(別府市内の県立高校)に入学し私と同様ラグビー部に入部しました。当時はラグビーよりも勉強のほうが得意な連中が多くいて大して強くない(はっきり言うと弱いとなってしまうのですが過去のことはついつい自分の中で美化されるもので・・・)チームでした。我々が卒業すると本格的な強化が始まり、宿敵(なんちゃって)大分舞鶴高校(元日本代表の今泉がいたころ)と県代表を争うチームに成長しましたが未だ舞鶴を破ることなく最近は少子化とラグビー離れで母校も部を維持するのがやっとの状況が続いております。現在は3年生を含めて16人でやっています。6月の高校県体10人制の部で見事優勝し徐々に名門(?)復活の兆しが見えております。その中で納得できないことが一つだけあります。私は高校時代フッカーでした。フォワードのスクラム最前列の真ん中です。現代のラグビーではユーティリティープレイヤーのポジションですが当時は足が遅くてどんくさくても何とか15人目になれる(あくまでも自分的にですが)ポジションでした。ところがです、何と長男は監督からスクラムハーフの練習を命じられたのであります。『どうして俺がフッカーでせがれがスクラムハーフなんですかー?!よーし、こうなったら大分県ラグビーフットボール協会主催の“オーバー35”の試合に出場するために結成する予定の私の出身大学ラグビー部OB会チームでスクラムハーフを狙うドー!』

2005年4月1日
スポーツの春
 最近私の周辺にやたらと盛り上がっている人がいる。周辺と言っても手が届く距離ではない。私の出身高校の同級生のメーリングリストで
春の高校バレーの話題で盛り上がっている人がいるのである。あろうことかベスト4まで行ってしまい、在京同級生の暇人(失礼、時間を有効に使うことができる人)たちが会場に集まり状況、結果をメーリングリストで知らせてくれていました。本当にもう少しで決勝進出できそうだったのでちょっと残念でしたがやはりベスト4はどう考えても素晴らしいことでした。
 春の選抜高校野球にも久しぶりに大分県代表が出場しました。秋の神宮で優勝した柳ヶ浦高校なのでかなり期待をしていましたがなんと1回戦で天理に負けました。エースの山口君はお父さんが大相撲元前頭の谷嵐と言うこともありひそかに応援していたのですが・・・夏に母校が負けたらまた応援しよう。
 ところで、最近の大相撲は全然面白くない。千代大海は明らかな稽古不足だし、垣添は負けが込まないと勝てないし。幕下上位に顔を出した大西(大分県出身)に期待しているのだがまだまだみたいだし・・・
 プロ野球もダイエーホークスが字あまりソフトバンクホークスになってしまいなんとなく間が抜けて応援に力が入りません。次男坊も私と同じ気持ちです。特に彼の場合井口がいなくなったので大変さびしそうです。
 サッカーの日本代表の試合もテレコテレコの連続で見ていて本当に疲れます。それにシミュレーションか何か知らないけど、こかされたふりという技術がもてはやされているようですがとても青少年には見せられない技だと思います。正々堂々やれよと叫びながら観戦しています。と言うわけで最近のスポーツ、消化不良を起こしつつ斜めから見ております。
2005年3月1日
プロ野球オープン戦
 先月26日、嫁さんの父親が知人から楽天対ジャイアンツの外野席切符3枚をもらってくれたので息子2人を連れて新大分球場に行ってきました。雪の降る中カイロを体中に張ってできうる限りの防寒をして試合開始1時間30分前の午前11時30分に到着。外野は芝生席でほぼ満員でしたが最後列は少し開いていて3人ですわり嫁さんが作ってくれた弁当を食べおやつを食べお茶を飲みつつ震えながら試合開始を待ち続けました。試合開始のころには寒さがピークに達しジャイアンツファンの長男でさえ寒さで顔を上げられずほとんど試合を見ていない状態でした。旧ダイエーファンの次男は『あっ!番長や・・・』などと言いながら少しは見ている様子。長男に『もう帰ろうか』と聞くと無言。次男に『もう帰ろうか』と聞くと『僕はどっちでもいい』とのこと。もう一度長男に『もう帰ろう』と言うと『ウン、帰る』すると次男も『僕も帰る』。結局2回の途中で球場を後にしました。
 思い起こせば20数年前、まだ大学生だった小生はこの球場の座席取り付けのアルバイトをしていました。完成直後にこけら落としのプロ野球オープン戦阪神対ジャイアンツが行われました。私の大学にアルバイトの要請が来て硬式野球部員は球場内、それ以外の学生は球場外に配置されました。下級生が一番遠くの警備、上
級生は球場の周りの警備でした。当然小生は入場口付近の警備(ただうろうろしただけ)をして試合開始とともに観客になりました。開始前も何度か球場に入りその日は投げない江川の動向をちらちら見ていました。阪神選手が体操や柔軟を始めると江川が寄っていき阪神の岡田(現監督)に何やら叫んだりしていました。硬式野球部の親友E(紫岳寮の仲間、当時から威張っていてその日もチームメイトをさしおいて『オリがやる』とジャイアンツのボールボーイをやった)に後で聞くと、江川は岡田に『おーい!ちょうちんふぐー』と叫んでいたそうです。あの二人仲が良かったのか悪かったのか・・・どんな試合だったか覚えていませんが始めてみた生のプロ野球には少し興奮しました。終了間際に中畑(だったと思う)が左翼スタンドにホームランしその打球が観客に当たり救急車が来たことが印象的でした。巨人ファンは中学生までで当時プロ野球にはたいした興味を持っていなかったのだが、田舎の一大イベントには参加したかったというのが本音でしょうか。今回の楽天お披露目試合、一場が投げてジャイアンツがスタメンで戦った割には私を含め息子たちもあまり感動していない様子。寒かったからかなあ。

@清原打ちました。

A楽天の外野手誰だかわかりません。

B楽天のマスコットデビュー、名前が分かりません。

Cスコアーボード、人間が時々顔を出します。
2005年2月14日
痛みが取れた!
 先月29日のラグビーで痛めた背中と胸の肋骨痛がやっと普通の筋肉痛の痛さまで回復しました。先週までは正直寝るのが怖かったのです。寝返りは打てないし夜中に何度も目が覚めるし、起きても痛い寝ても痛いと言う状況が続き寝不足の日々を送っていました。やっと痛くなくなったのでそろそろ酒を解禁しようかなと思っています。実は29日の夜に続き3日の夜もカナダから出張で帰国した旧友を囲んで大酒を飲んでしまったのです。飲むたびに痛みが増していたので『ひょっとしたら折れてるかも』と思うとさらに痛くなり『こりゃあバチが当たったんじゃ』と急に弱気になり4日からは一滴も飲んでいないのです。ここはせっかくだから節酒(禁酒じゃないところが情けない)キャンペーンを張って身体にいいことしようかなとも思っていました。しかし一昨日、石を腹から取り出したMくんが快気祝いに米焼酎を持ってきてしまったのです。12日と13日は我慢しました。今日はもう無理です。娘が作ってくれたキティちゃんの人形焼ホットケーキと奥さんがくれた超高級チョコ(ダイエー別府店で買っているのを私は見てしまった。「当たり前じゃ、一緒に買い物に行ったときに買ってたんだもん」)をつまみ(そうです、私は本格的な甘党です。学生時代はおはぎをつまみに麦焼酎ロックを飲む男として恐れられていました。)に米焼酎をいただこうと思います。
2005年1月31日
ラグビーOB戦
 29日はラグビーの1日でした。私の出身大学のラグビー部OB会大分支部が設立され、初の集まり新年会がありました。私はな、なんと並み居る先輩OBを差し置いて副支部長に就任しました。支部長は以前セーラー服を着て私を困らせたです。大分支部のOB約80名の内まずは16名の参加でした。他に監督・OB会長など5名が参加し盛大な船出となりました。実はその日は現役の追い出しコンパ・卒業試合と重なっており大半のOBが両方に参加しました。もちろん私も・・・もうおわかりでしょう昨年の9月19日以来一歩も走っていない私が試合に出てしまったのです。現役対若手(本当に若い2、30代)OBの20分ハーフに最初からフッカー(大学1,2年のころのポジション:フォワード第1列中央)で出場しました。ちなみにスクラムハーフは同級生、20数年前のコンビはぜんぜん合わずフッキングに苦労しました。スクラムは押さない、ラインアウトはせらない、セットプレーからの3次攻撃からしか参加しないなどぶつぶつ勝手に決めていたのですが、ラックの端からボールがはみ出してきたので思わず拾って3歩走り現役に当たりました。さあ大変、ひざを決められてタックルされ持ち上げられて頭から落ちる寸前に身体を少しひねり右の肩甲骨下から落ちました。あばら骨が折れたんじゃないかと思える痛さで息ができず、しかも誰かに腹を踏みつけられ前半終了間際あえなく退場しました。よせばいいのに、後半終了間際私の目の前でゴール前5mのペナルティキック、思わず『まわせー』と叫んで乱入。まわしてもらえずゴールライン上でモールになりました。試合に参加した手前モールに参加、モール崩れざまに今度は誰かが左わき腹にぶつかってきてダウン、すぐ起きたら左太ももの外側をしこたまキックした奴がいた。楽してトライしようと欲を出したばっかりに2箇所も余分にいためてしまいました。その夜の宴会は悲惨でした。午前1時ごろまで本当に痛くて泣きそうでした。やっと酒が体中を10週ぐらいしたころから痛みに慣れ、『痛くなくなったから帰りたくない。』という私でしたが私が1年生当時の4年生の『もう帰るぞ!』の一言で家路につくことになりした。家であまり痛がると奥さんからラグビー禁止令が出るんじゃないかとヒヤヒヤして痛いのは黙ってたはずなのに、朝いきなり『昨日はどこを痛めたの?』と聞かれてしまい、うろたえる私に『寝言で何度もイテテ、イテテと言ってたわよ。』とのこと。なーんだばれてたんだ。『じゃあ、シップ薬たくさん張ってー』と救済を求めつつやせ我慢して『たいした事ない。』と強がっておりますが奥さんから『今度はちゃんと身体を鍛えてから出たほうがいいわよ。』と建設的な意見をいただき少し反省をしているところです。
集合写真:前列左端小生、前列赤黒監督 前列左監督、次が
2005年1月17日
あけましておめでとうございます
 間抜けな新年のあいさつ失礼しました。先日、ラグビー大学選手権の決勝戦を東京国立競技場で観戦してきました。バックスタンドほぼ中央の前から4列目で見ました。22年ぶりの国立での観戦に少々興奮気味でした。前座の試合(高校生東西対抗戦)からテンションをあげて観戦し、自宅で留守番の嫁さんに携帯メールで写真を送りまくりました。せがれにはラインアウトのときにテレビをよく見とけとメールしましたが、『テレビに映るのは2列目まで、ざんねーん』と切られました。試合は前評判以上に関東学院大学が健闘し早稲田大学もその闘志にこたえる緊迫した内容で終始しましたが、最後は早稲田が31対19で勝ち実力通りの結果に終わりました。早稲田11番左ウィング大分出身の首藤君のトライが見られなかったのが残念(ナイスタックルは何本か見ました)です。彼はまだ2年生なので来年度以降の活躍も期待します。試合の後競技場から青山、青山から渋谷へと歩きましたがビルの新築現場がたくさんありました。間違いなく景気は回復しつつあるなと不動産屋の自分が独り言を言ってました。東京に行ったのは10年ぶり。10年一昔と言いますが、東京の便利になったこと。羽田から電車で品川に着くし、国立競技場には大江戸線の駅ができたし、とどまるところを知らないですね。行きの飛行機内から冠雪した富士山を見下ろし、ラグビーを観て夜は関東地区のラグビー部先輩方と懇親会、翌日の午前中は新宿小田急センチュリーホテル最上階の喫茶から富士山を遠くに見ながら旧友二人に会い、六本木ヒルズを徘徊して帰りました。今年は新年早々良いもの見て、良い再会をすることができ良い1年になりそうです。
2004年10月12日
捻挫なおりました!
 捻挫が完治しないまま建設現場をうろうろしたり、子供たちを連れて2日間もあちこちを散々歩き回った(次男坊いわく、もう足の裏が割れそうだ!)り、少年野球のキャンプで重たいものを運んだり、止めに町内盆踊り大会のやぐら組みを先頭を切ってやってしまったりした結果今度は足の指の付け根が腱鞘炎で腫れしまい9月の中旬まで捻挫を引きずってしまいました。2ヶ月以上もサンダル履きで足を引きずっていたので『まだ直らないのか、どうしたのか』と言う質問がうっとうしくなり、なるべく人に会わないようにしていました。その結果(?)このHPの更新も『足が痛いので気が進まない。やめとこう。』と言うことになり何やら気がついたら10月になってしまっていました。毎日ここを開いてくださっている皆さん全然更新してなくて申し訳ありませんでした。そろそろ足も9割がた治っているのでスポーツの秋を満喫しようなどともと思っています。いやー、まったく懲りておりません。実はすでに9月18日、福岡でラグビーの試合をやっちゃたのです。現役の大学生相手に気絶寸前、意識朦朧となりながらも約20分間出場しました。スパイクを履くとそれまで痛かった右足の指の付け根が痛くなくなったのです。しかも試合の後でスパイクを脱ぐと腫れていたはずの右足がほとんど普通の大きさに戻っていました。不思議なこともあるものだと思いつつこの日まで禁じていたビールをのどの奥までぶちまけると明日への活力、と言うよりも10年分ぐらいの活力が沸きあがってきた気分でありました。五体満足に感謝をしました。あー捻挫が治って本当によかった。
2004年7月5日
捻挫した!
 昨日、町内対抗のミニバレーボール大会があった。小生自治会の保健体育部長をしている関係で人集め、弁当の手配、打ち上げの段取り等をやっています。選手が足りないときは私も選手です。今年は出なくていいなと思っていたのですが去年の選手が仕事や用事で5人も欠場したためついつい出てしまいました。ゲームはにわか仕立てのメンバーのため勝負よりも親睦に重きを置いてやっていたのですが、昔スポーツを少々かじった小生ついついきわどいプレーにも真剣に取り組み思わず回転(突撃?)レシーブを決めるや、体協幹事で高校時代のラグビー部の先輩伝統工芸士Tさんからお褒めをいただき調子に乗って次々と飛び回っている途中で小柄なお母さんと交錯し、元ラガーが本気でぶつかったらひとたまりも無いと思いきわどくよけて転がった瞬間“グキリ”やっちゃいました。右足の外側小指の付け根の根っこのほうを思いっきりひねってしまい見事な捻挫となりました。トホホ・・・仕事のことやいろいろなことが頭をよぎりましたがなったものは仕方が無い。昨日も今日もてごの奥さんに運転してもらってうろうろしています。そうだ奥さんもてごを改めておかかえ運転手に昇進させとこう。
2004年5月15日
ヘビがいた!
 最近家の周りにヘビがいる。直径約2センチ長さ約50センチ、くすんだ色のまだら模様だ。エアコンの室外機の下でとぐろを巻いているのを嫁さんが見つけた。子供たちが騒ぐので小生の母が棒で追い払った。ヘビは小さなもちの木の下に逃げ込んだ。それを見ていた次男坊が『おばあちゃんスゴイねえ。』嫁さんは次男坊に『家に入るといやだから玄関はちゃんと閉めてね。』それを聞いた母は次男坊に『おうちにヘビが入ったら飼う?』すかさず次男坊『飼いたい!』母が『じゃあ一緒に寝なくちゃね。』次男坊無言。母の勝ちでした。その夜次男坊は鳥インフルエンザ事件(2月8日の超個人的参照)の時と同様今度は動物図鑑を出してきて調べに調べていた。彼の出した結論は『あのヘビはインド原産のスナボアだ!』でした。本当かなぁ・・・
2004年5月4日
下森建設復活か?
 以前、下森建設があった。小生の父親が40すぎから60すぎまでの20数年間存在した。小生、中学生のころから長期休暇のときはなるべく仕事を手伝う(高校生までは勉強を逃れるため、大学の時は金目当て)ようにしていた。親友Tくんがヨーロッパ留学時に送ってきた絵葉書は『別府市流川通りのひとつ大分よりの下森建設の・・・』で届いた。酒屋の親友Nくんの新店舗の新築工事を私が請負い今月から工事にかかるのです。とにかく安くとか早くなどと言われながらどうにか着工にこぎつけました。Nくん曰く『この工事で練習して本格的に建築にも進出すればいいじゃないか。』人生自分の意志とは違う力が働くと言うことを実感しています。鉄骨平屋の店舗のため6月末完成予定。そうだ、工程をデジカメに撮っておかなきゃ。
2004年4月30日
最近の私
 4月25日、私が所属する団体の親睦ソフトボール大会があった。年の割には頑張ったと思うがおかげで2、3日あちこち痛かった。日ごろからやってる連中や野球経験者はユニフォームを着てかっこよくホームランをかっ飛ばしていた。それに引き換え小生、高校大学はラグビー部所属のため野球のユニフォームなど持っているはずもなくラグパン・ラグジャ(それもとっても古い)を着てラグパンの上に昔マルショクで買った安物のちょっと趣味のよくない紫色のジャージをはいて走り回ったのです。相当変な色だったのでしょうあちこちから小さい声で『なんか変な色だな』と聞こえていたのは幻聴だったのだろうか。いや幻聴ではなかった。翌日の晩同じ団体の会合の後で先輩のOから色について何か言われた。結構はらわたが煮えくり返ったけど小生かなり大人になっていました。心の中で『あなたには言われたくないよ〜だ』と叫んで無視。せっかくの昨日の親睦に水をささなかった自分をほめちゃいました。
2004年4月19日
嗚呼ラクテンチ
 『得する情報』では触れなかったラクテンチ、これから応援する身なのにやはり言いたい。象はどこに行ったんだ、カバはどこだ、白くまは、ライオン、トラ、オオカミ・・・・・シマウマとチンパンジーはいた。ビックリハウスがなくなっていた。しかし変化は常にあるもの。小生子供のころラクテンチでロバに乗って走った記憶がある。おサルの電車には本物のニホンザルが乗っていた。象の花子にも乗っていた。しかし私の子供たちはそんなこと知らない。新生ラクテンチもそれを受け入れる人たちによって新しい歴史、新しい思い出が出来るのだろう。でもやっぱり・・・・
嗚呼ラクテンチ写真

@食べ物欲しさに土下座するチンパンジー。

A元白くまの家。

B元象の家。

C元象のえさ。

D象がいた!

Eここにもいた!

F元カバの家。

G元演劇場。
2004年4月8日
別府湾の鯨4
 鯨の気配が無くなった。だがイルカがいる。大分市(サルの高崎山の下にあるので昔から別府のもののような気がしているのだが)の水族館マリーンパレスが
うみたまご大分マリーンパレス水族館として生まれ変わって、ついに大分県にもイルカがやってきたのです。メスが3頭名前は、ササ・クク・ララ(桜だ!)です。次男坊曰く『もう福岡の海の中道の水族館に行かなくてもイルカに会えるね』とのこと。早く連れて行けの婉曲なのです。どこかで割引券を貰ってきてる様なのでそろそろ連れて行かなくちゃ。以前のようにアクアラングをつけたお姉さんが水槽に入って魚にえさをやっているのかなあ。開設当時に皇太子殿下(今上天皇)が寄付をしてくださったコバルトスズメ(コバルトブルーが美しいちっちゃな魚、好きなんです。)は元気かなあ。魚の実験室はまだあるんだろうか。ラッコはまだいるようだ。アザラシの引越しはローカルニュースで見た。だんだん早く行きたくなってきた。皆さんもどんどん行ってね。
2004年3月18日
別府湾の鯨3
 昨日のニュースで遊漁船経営者とそのアルバイト従業員が逮捕されたことが報道された。ホエールウォッチングで船を出す資格が無いのに客を乗せて営業してしまったかららしい。こんな連中のせいで鯨はどこか遠くの方に行っちゃったんだろうなぁ。大分合同新聞の朝刊によるとこの1年で日本近海でザトウクジラが8頭確認されたらしい。毎年約1頭だったので個体数が増えてきているのだろうと書いたあった(増えたから食べても良い、食べたいなどとは毛頭思ってもいません、決して別府湾の鯨を捕って食べたいなんて思ってません・・・)。さらになんと別府湾の鯨はまだ湾の沖合いに居ると書いてある。長ければ夏まで居るとのこと。実は最近話題にも上らなくなったので静かに北の海に去ったとばかり思っていた。まだ居るのなら夏までにはなんとしてもこの目で見つけてここに写真を載せたいと思っている。だんだん昔テレビでやってた『徳川埋蔵金ついに見つかる!来週も必見。』みたいになってるような気がする。
2004年3月15日
大相撲3月場所2
 昨日の取組垣添千代大海とだったんですね。2日目の取組も新聞に載ってて私が見間違ってたみたいでした。申し訳ないです。昨日の一番はなぜかサウナの中のテレビで見ました。お互いにいい当たり(垣添が変化をしないのがわかっていたので千代大海も安心して当たったみたい)をした。垣添の下からの攻撃は見事だったけど千代大海の得意技の引き技がうまく決まって下に落ちて負けちゃいましたね。『千代大海引いてくれ』と思わず叫んでしまいサウナの中で注目を浴びました。注文通り引いてくれたけど垣添に着いて行く足が無かった。残念。とは言うものの両者の対決には複雑なものがあります。出来れば二人とも勝ち越した後で当たってほしいものです。
2004年3月13日
大相撲3月場所
 明日からやっと相撲が始まる。垣添の初日の相手は大関魁皇だ。先場所大関初挑戦にして見事に押し出しでやぶっている。今場所は簡単に勝たせてもらえないと思う。だが
魁皇は時々大雑把な相撲をとるので勝負は五分五分と見る。今場所の垣添は場所前の報道ではまずまずの調子らしいのでうまくいけば勝ち越すことが出来るかもしれない。ただほとんどの力士は初三役の場所は負けが込んでいる。上位との力の差が出るのだ。ここで一度負け越してその後再び三役に返り咲いてからがその力士の本当の力量が見えてくるところだ。たいていの力士は2度目の三役はなかなか無い。2度目があってても勝ち越せない。勝ち越せても10勝出来ない。10勝出来てもまた負け越す。そうやって極稀に2場所連続して10勝以上あげて大関候補となる。私は今場所の垣添は負け越したほうが良いと思う。幕下時代に散々下積みをしているが関取になってからは順風満帆。垣添に限って油断やおごりは無いはずだがもう一度前頭に落ちて十二分に鍛えなおして不動の三役いやそれ以上の地位を目指してほしい。でもやっぱり今場所も勝ち越したらうれしいなあ
2004年3月7日
軟式野球
 今日の午前中、長男(小学5年)の野球チームの6年生を送る会で親子野球対決があった。中学を卒業して以来軟式のボールではキャッチボールを数回した程度でもっぱらやるのはソフトボールだけだった私。試合前に監督とキャッチボールをしたのだが小学生用のボールは小さすぎて5、6m先の地面に思い切りぶつけてしまい力を抜くととんでもない山ボールが間抜けな方向に飛んで行くていたらく。監督にコツを聞くと『あんまり強くしっかり握らずに程よいゆるさで人差し指と中指の微妙な感覚を保ちつつリリースするときに人差し指と中指できっちりボールを投げてください。』とのことでした。なんとなく解ったような解らないような・・・子供のころ少年マガジンかサンデーで『巨人軍の金田正一投手(だったと思う)は片手でボールを5個持つことが出来る。投手は手が大きい(指が長いだったかな)ほうが有利だ。』という記事(というのかなぁ)を読んだ記憶がよみがえってきた。大人の私なら慣れたらすごい球を投げられるようになるのかなぁ・・・そうこうするうちに試合開始。4打数3安打、センターの守備ではノーエラーでなんとか面目やくじょ。せがれのピッチャー足元を抜くセンター前ヒットを処理して感無量。結局親ばかな1日でした。
2004年3月3日
ひな祭り
 今日は待ちに待った(そんなわけないか)ひな祭りだ。ひな祭りと言えば桜餅。私はあんこが大好きだ。それも粒あん。しかし最近どこを探しても粒あんの桜餅が無い。ビックフレッシュもマルショクもわさだタウンもどこにも無い。一昨日母を連れて(親孝行そうに見える息子をしていると近所での私の評判うなぎのぼり)トキハ別府店地下に叔母のお見舞いのお菓子を買いに行った。いろんな業者が桜餅を売っていた。思わず『そのあんこ、粒あんですか?』と連呼連呼。返って来る答えはみな『こしあんです。』予想通りでもガックリ。私のショックを知ってか知らずか母いわく『昔から桜餅はこしあんに決まってるよ。』とばっさり。お見舞いのお菓子が急に重たくなってきてトボトボ駐車場へ。きっといつの日か粒あんの桜餅を食べながら別府湾でホエールウォッチングするどー。
2004年3月1日
見事垣添小結昇進
 本日待ちに待った大相撲3月場所の番付発表があった。期待の星垣添東の小結に昇進した。予想通りだったが現実になると本当にうれしい。今日の正午のNHKニュースの全国版でも報道された。たいしたもんだ。ウーン、早く3月14日にならないかなー。待ち遠しいよう。真っ向勝負の正攻法、古武士のような風格も出てきた垣添、3月場所の健闘を祈る。

2004年2月21日
1升ビン2〜黒霧島
 昨夜天ぷら・ちゃんこ なが田(私が相撲好きだから付き合っているんじゃないちゃんこがうまい)のN君と飲んだ。ある店で『麦焼酎 とっぱい』(N君いわく僕これ好きなんですよねー先輩!)を飲んだ。東国東郡安岐町の焼酎で少し甘かったがおいしかった。とっぱいを飲みながら『先輩、今、黒霧島(20度5合ビン)が無いんですよね・・・』とこぼした。な、な、なんと酒屋の同級生Nくんの予言がここまで来ていたのだ。酒屋のTさんからこれが最後で次はいつ入るかわからんと言われたとのこと。さっそくその場で酒屋の同級生Nくんに電話(ばかだなぁ午前1時30分なのに)して聞いた。『うちもお得意さんの分を少し残しているだけ。次の入荷は今年の10月ごろじゃ』とのこと。酒屋の同級生Nくん、せっかく旬をつかんだのに品切れ状態にあきれるやらジダンダ踏むやら・・・最後に『とっぱいも在庫が減ってきてるんだ』とのこと。ちゃんこN君、これからはお店でもとっぱいを勧めてください。

2004年2月20日
別府湾の鯨2
 今日無理やり用事を作って大分に行ってきた。申し訳ないまた見つけられませんでした。今日はこの前の反省をふまえて田ノ浦ビーチのみに絞って約50分間(こう見えてあまり暇じゃない)だけ(実は退屈したから・・・)海を見張っておりました。似たような人たちが5、60人いました。『昨日は何回か見えたなあ』と言うおじさんもいました。車椅子でじっと海を見つめる老女、犬を連れた中年夫婦、学校サボりの高校生5人組、なぜか高崎山に向かってもくもくとテレビカメラを回して帰ったグループ、ひたすら漫画を読んでる毛布に包まれた若いお母さん、ヘリコプター2機、カモメ、あー暇だからきょろきょろしていた。デジカメで写した『鯨を待つ人々とその周辺』を見てね。次回のリベンジ乞うご期待。
『鯨を待つ人々とその周辺』

@双眼鏡でのぞく人

Aボーっと待ってる人

B別府湾をチョロチョロして鯨を探す船

C田ノ浦ビーチ、船は遊具


Dヘリコプター小さくて見えないかも

E田ノ浦ビーチの砂浜、泳ぎに来てね
2004年2月18日
鳥インフルエンザ2
 とうとう大分県で鳥インフルエンザが発生した(前評判の悪かった広瀬大分県知事全国ニュースに初登場?)。周囲30キロメートルの鶏肉鶏卵の移動が制限された。地図を見たら別府市も入っている。ビックリ。私の知人さん(別府で一番おいしい鳥のから揚屋さんと思う)と以前話をしたとき『鳥インフルエンザは加熱をすれば大丈夫、生を食べちゃあイカンけど』と言っていた。O−157のときもそうだったけど過剰反応が一番怖いとのこと。変に反論すると怪しまれ何も言わないのもどうかと思うとも言っていた。どうするんですかと聞くと『ただただおとなしくじっとして耐える』のだそうだ。発想を変えて『天が与えてくれた自由時間、趣味に走っておこう』とも言っていた。それにしてもどこからウィルスが来た(例のあの黄色い鳥かなイヤイヤ)んだろう。近所の技術系県庁マンSさんはBSE問題のときは相当忙しかったと言ってたがまた忙しくなるのかなあ。早く解決しなしかなぁ。来週先輩に焼き鳥を誘われてるんだけど・・・
2004年2月17日
別府湾の鯨
 今日久しぶりに別大国道(国道10号線のこと)を通った。鯨が跳ねてると聞いたので田ノ浦海水浴場(古いね僕は、今は田ノ浦ビーチち言うんじゃと言われそう)あたりから相当ゆっくり走った。ちらちら海を見たが鯨はいない。一応西大分の海岸付近もチェックしたけどいない。大分で用事を済ませた帰りまた無理やり海岸のほうを通ったがやっぱりいなかった。もどかしさと戦いつつ時計を見ると午後2時48分、間に合わなくなる。3時過ぎには別府にいなくちゃ。パチンコ屋の新装開店に行ったけど台が1台もあいてなかったとき、いや垣添の会心の一番を見損なってその夜にどのスポーツニュースを見ても取り組みが放送されなかったときのような無念さをおぼえながら帰ってきました。デジカメも持って行ったんだけどなぁ。近いうちに必ずリベンジして皆様のご期待にこたえるべく見事な画像をアップして見せます。
2004年2月14日
女装、その後
 先日同級生K君からメールが届いた。このホームページを見たらしい。K君によるとその後何人かで都町で飲んだときに『実はこの前別府で飲んだときにセーラー服を・・・』と口を滑らせた瞬間、店にあったチャイナドレスを3人がかりで無理やり着せられたらしい。『今回は自分から着るとは言ってない。』と言い張る。不自然だ。今後は自重しようと思います。と言いつつ鏡を見たらなかなか似合っていたとのこと。今後の動向にも要注目です。そういえば今年は3年に1度の大学のラグビー部のOB会の年です。何をかくそう現役時代K君がキャプテンで私がヴァイスキャプテンをしておりました。そういえば10年位前のOB会で加藤茶の“ちょっとだけよ”より100倍色っぽい芸の持ち主大先輩のIさんが欠席していたときに身代わりとしてK君がその方面の芸を披露したのですがI先輩をしのぐ勢いに思わずあちこちから『K!何があったんだ』とか『悩みがあるのか』とか『いつもやっとるのか』などの声援が飛び交ったことを思い出しました。今回もやっちゃうのかなぁ・・・『セーラー服とチャイナドレスどっちを持って行けばいいかな』と言う相談の電話がかからないことを祈るばかりです。
2004年2月8日
鳥インフルエンザ
 1月の中頃次男(小3)が学校から帰ってきて『今日校庭で鳥が死んでいたので友達と一緒に埋めてあげた。』と言う。『焼き鳥かから揚げの間違いじゃないか。』と私が言うと『いやキツツキだった』と言う。嫁さんに鳥の図鑑を出してもらって一緒に見ていた。結論はスズメくらいの大きさのヒバリに似た黄色い渡り鳥だった。鳥インフルエンザがアジア各国で問題になっているので一応『鳥には気をつけろ特に渡り鳥には。』と言っておいた。タイミング良く(悪く)1月25日に次男が風邪で熱を出した。かかりつけの医者からインフルエンザだと言われた。そのとき嫁さんは思わず『せ、先生鳥インフルエンザじゃないでしょうね。』と言ってしまったらしい。先生は笑いもせず『検査をしたが鳥インフルエンザじゃない。』とのこと。次男の熱は2日で下がり週末からまた学校に行き始めた。鳥インフルエンザの話題をここで語るのは不謹慎じゃないかと思っていたが後日談があるのでまあいいかと思い書いている。そうなんです。この前中国で1万羽以上の鳥が空から降ってきたニュースを皆さんはご存知ですよね。新聞報道によると『空から降ってきたのはスズメくらいの大きさのヒバリに似た黄色い渡り鳥・・・』だったそうじゃないですか。すると次男のインフルエンザは・・・
(鳥インフルエンザで被害を受けている皆さん他意はありません)
2004年2月7日
一発太郎3
 ついに検索エンジンでの検索が可能になりました。これもひとえに一発太郎様のおかげです。さっそく、本当にうれしいことに土地情報が土地を探していらっしゃる方の目にとまり、関西方面からわざわざ別府までおいでいただくことになりました。別府に移り住まれることを本気で考えていらっしゃる様子なので私にでき得る限りのお手伝いをさせていただこうと思っています。
2004年1月30日
ラクテンチ
 今朝、日経新聞の朝刊で白くまの赤ちゃんを育てた(日本では考えられないことらしい)飼育係の手記(詳しくは新聞を読んでね)を読んだ。そういえばラクテンチにも何年か前に白くまの双子の赤ちゃんがいたなあ・・・『お父さんもお父さんと行ったラクテンチ』が去年の11月で長い歴史に幕を閉じ閉園した。幸いなことにラクテンチと取引のあった遊具機械メーカー『岡本製作所』に経営を譲渡して今年の春先から『ワンダーランド・ラクテンチ』として再出発することになった。喜ばしいのだが、ほとんどの動物はいらないらしい。あの白くまたちや象の花子、いつも昼寝をしているライオンとトラ、どうしても犬にしか見えないオオカミ、食べ物を持った人を見るととたんに低姿勢になるチンパンジー、上野動物園に貸し出されたゴリラのリラ子、あまり目立たなかったラクダにシマウマみんなどうなるんだろう。そして思い出のカバも・・・そう、20数年前に載った大分合同新聞の記事を思い出した。高校生のころだ。内容はこうだった。『花見客カバに襲われる』ラクテンチで花見をしていた別府市内のHさんは一緒に花見をした仲間に『用事があるから先に帰ってくれ』と言い残し仲間と別れた。当時Hさんは酒に酔っていて、簡単に入れたカバの檻に近づき檻の中に入ってカバの住む水に飛び込んだらしい。そして怒ったカバに噛み付かれたらしいのだ。その後カバの檻を見に来た職員に助けられたのだ。Hさんはなぜ飛び込んだんだろう?どうしてカバなんだ。この疑問は20何年経っても解消されない。今いるカバはあのときのカバなのか・・・いやもういなくなっているかもしれないな。
2004年1月26日
一発太郎2
 実は1月21日に登録しました。説明によると気長に待てばYahoo!JAPANにも登録されるでしょうとのことでした。気長に待とう。
北の湖と垣添
 私は相撲が好きだ。一昨年の11月九州場所が終わってすぐに、私が所属している団体が経営講演会で大相撲の北の湖理事長を講師として別府に招いた。その夜の打ち上げで親方と会食をしているときに下っ端の私にも会話をするチャンスが巡ってきた。思わず『垣添はどうですか?』と質問した。返ってきた答えは『もう忘れた。』でした。(ガックリ、当時の垣添は入門前の世界選手権で痛めたひざの古傷やほかの怪我などの影響で幕下でくすぶっていたのだが・・・)一瞬静かになったので誰かが朝青龍の質問をして話がそっちに行ってしまった。それから1年後の九州場所では新入幕後2場所連続勝ち越しを上げ一躍若手のホープに躍り出て、今場所の活躍につながったことは誰もが知っていますね。11勝4敗の見事な成績を残し技能賞を獲得し来場所の三役(小結)もほぼ手中に収めました。学生相撲の先輩天才久島も到達できなかった三役に幕内4場所目で手が届く垣添は本当にすばらしいと思う。『北の湖理事長、垣添を思い出しましたかー!』
2004年1月23日
1升ビン
 銀行から帰ってきて事務所の横をふと見ると1升ビンの空きビンが2本とコカコーラの空きビンが1本置いてあった。すぐにピンときた。近所のKさんが置いていったんだ。子ども会が集めているのを知っていて時々置いていってくれる。誰かわからない時はたいていKさんだ。そのうち1本は本格芋焼酎『黒霧島』20度だった。やっぱり。何がやっぱりかと言うと、去年は『いいちこ』か『二階堂』だったはずなのだ。この前、飲み屋街では有名な酒屋の友人Nが『俺の店が生き残るには業務用しかないんじゃ。飲み屋のお客が今何を飲みたがっているのかリアルタイムでわかるからな。よそには真似できんのじゃ。』と言っていたのを思い出した。そのときに『今は、黒霧島じゃ。』と言ってた。本当だった。ちょっと前までは『三楽長期貯蔵』だったはずなのに。
2004年1月19日
一発太郎
 熊本の友人Kくんに『一発太郎』を教えてもらった。いまだに見られると恥ずかしいという矛盾と戦っているので登録はしていない。
2004年1月19日
女装
 17日の夜大学時代の同級生大分のK(男)と2年振りに別府のスナックに飲みに行った。Kは新年会の2次会で裸と女装で盛り上がっている筑豊の消防団員に対抗してなんとセーラー服(もちろん本人のものではありません店のです)に着替えてしまった。まあ裸で走り回るよりはイイワイ思っていたが消防団が帰っても脱ごうとしない。新しい客が入ってきて我々の異様なツーショットに・・・無言。何も言われないのも結構こたえると思っている小生を尻目にKはノリノリ。今度写メールを嫁さんに送っとこう。
2004年1月19日
ビックフレッシュ
 近所の食品スーパー『ビックフレッシュ』は以前はビッフレッシュだったはずなのにいつの間にかビックフレッシュになってしまった。なのに折り込みチラシにはビッグフレッシュと書いてある。(なしか!) 先日の外装工事で看板のビッグの濁点が削られていた。濁点の後が・・・ちょっと見える。

@南入口

A東入口

B問題の濁点の後(見えるかな)

Cビックビッグかはっきりしてよ


何かおっしゃりたい方


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